【就活】向き合い方について。
皆さんこんにちは。
みなさんも経験あると思いますが、
子供時代は時間の流れがすっごい遅く感じました。
大人になるにつれて、振り返ると一瞬に感じますよね。
社会人でもこの前まで学生だったのに、気づけば3年目、10年目。
さて、今回のテーマはズバリ「適当」ですね。
おそらく大学時代の話、就職活動の話、みたいな自分の人生についてツラツラと書いてくつもりです。
今回はその導入編的な感じです。
就活したことある人なら分かると思うんですけど、就活をしてる人の気持ちとしていくつか挙げられると思います。
1.不安と期待の耐久レースタイプ
2.就職できればいいタイプ
3.就活ってよく分からんタイプ
殆どの人は1なのかなーと思います。自分も1でした。
1の人はつまり、就活に対してめちゃくちゃ思いのある人です。夢、親への恩返し、お金など。
僕は最初1だったのが段々2にシフトしています。
2の人はとりあえず就職できればいいやっていう考え。悪い意味ではなく、人生は就活で決まらないし、働けばとりあえず生きていけるってことですね。
3は就活ってなんだよ。よく分からん。ってひとです。笑
笑えてきますよね。そんな人おるか!ってツッコミたくなる。
1.2.3どれが良いとか、正しいとかはありません。
でも、僕は3になりたい。
え?
3ってただの馬鹿だろって思いましたよね。笑
馬鹿であることは間違いないかもしれない。
就活って人生の一大行事だし、今後働いていくところを決めるからこそみんな必死になる。
けどそれを「就活?美味しいの?それ」と笑い飛ばせたら、面白くないですか?
現実逃避、言い訳だと言われても構わない。
そんなことすら気にしない。
そういう人間になりたい。
今日はここまでにして、また次回の投稿で!!!
<今日の名言>
他人は時に自分にとって「悪」になり時に「善」になる。
【就活の極意】自己分析編
今回は「自己分析」について話したいと思います。
あなたは何色の人ですか。
空。青い空。雲のない空。どこまで見渡しても空。そして限りない水平線。
僕は海の上に立っていた。広い海の上に。広い空を眺めていた。ただ青い空と青い海に挟まれていた。
太陽はなかった。でも、光があった。空は明るく、光に満ちていた。
僕は歩いた。海の上を。微かに揺れる波の上を。裸足で歩いた。
けれど僕は沈まなかった。
僕がいくら歩いても、景色は変わらなかった。
ときどき後ろを振り返っても自分がどこから歩いて来たかは分からなかった。
二色のブルーがそこにはあった。
海の底を覗こうとしても、まるでインクのように深いブルーをたたえているだけであった。
それでも僕は歩いていた。
好きな色は?ときかれるたびに、僕は小さい頃から青だと答えてきた。
お気に入りのものは大体青。何色かのなかから選ぶとなるとほとんど無意識に青を選んでいた。
そのせいなのか、僕のイメージカラーは青になった。海が好きだったり、僕と青の関係は幼馴染かそれ以上である。
筆箱も青、セーターの色も青、中学のとき、友達が誕生日プレゼントにとくれたボールペンも青いものだった。
なぜ青が好きなのか。
そう聞かれてもいつも困ってしまう。海が好きだから。いつもそう答えるけれど、そうではない。海の好き嫌いに関わらず自分は青が好きなのだ。かといって好きだからと青を選ぶのではない。赤と黄色と青が並んでいたら青を無意識に選んでしまう。まるで青が僕のことを選んでいるかのようなのである。
なぜ人は好きな色があるのだろう。
赤が好き、黄色が好き、金色が好き、黒色が好き、人によって好きな色は違う。なぜその色が好きなのか。そう聞いてもちゃんと答えられるひとはそういない。情熱的だから赤が好き。自然が好きだから緑が好き。本当にそうなのだろうか。
このような曖昧な要素を孕んでいるにも関わらず、人は好きな色を持っている。
小学校の自己紹介などでは必ず好きな色を聞かれる。
いつからかはわからないが、不思議と私たちは特定の色を好きになっているようだ。
僕が青を好きになったのはなぜなんだろう。
自分のことなのに自分でもわからないものを突然知りたくなった。
青といえばクールな色、静かな色、悲しみの色、そう表現することが多い。プラスではなくマイナスで、赤が陽だとすれば青は陰だといわれる。
水の色、涙の色、空の色。
青色はどこか落ち着いていて、目立たない。
そんな青の性格に惹かれたのだろうか。
もしかしたら、好きな色はその人の生き方を写すカラーになっていくのかもしれない。
日本昔話にありそうな話作ってみた。「まっさおやま」
「まっさお山」
昔々、太郎という男がおりました。太郎の住む村には、昔から青い小山がありました。その小山はその見た目から「まっさお山」と呼ばれていました。
その青い小山では青いものばかりとれました。青い魚、青い清水、青いぶどうなど、村の者はその山で採れるものに支えられて、生きていました。
一方、太郎の住む村の隣の村には黄色い小山がありました。黄色い小山では、黄色いものばかり取れました。黄色いウサギ、黄色いシカなど、隣の村の者はその山で採れるものに支えられて、生きておりました。
ある日太郎は隣の村にそういう黄色い山があると聞いて、羨ましいと感じました。太郎の村のまっさお山では魚やぶどうはとれても、ウサギやシカはいないからです。
そこで太郎は考え、まっさお山と隣の村の黄色い山をくっつければ、色んなものが採れるようになるのではないかと思いつきました。
太郎の住む村の人たちも隣の村の人たちも賛同し、せっせとまっさお山と黄色い山を掘り返し、二つの小山を合わせて新しい山をつくりました。
その山はなんと緑色の山になり、その山には緑の木が生え、森ができて果実が実り、動物が住み、川が流れそこを魚がおよぐ、とっても豊かな山になりました。
太郎の村の人々も隣の村の人々も喜んで、その後は豊かに幸せに暮らしていきました。
しばらく経ったある日、隣の村のさらに隣の村に赤色の小山があると噂が流れてきました。赤色の小山では赤色のものばかりとれるそうでした。
太郎は考え、太郎たちの緑色の山と赤色の山をくっつければもっと色んなものが採れるようになるのではないかと思いつきました。
どの村の人々も賛同し、二つの小山を合わせて新しい山をつくりました。
ですが出来た山は汚れた茶色の山でした。その山では茶色の木の実しかとれません。
人々はひどく後悔しました。その後、人々は緑色の山を夢に見ながら貧しく暮らしていきました。
おしまい。
子供の発想力
大人になってから、周りのものに対して関心が薄れていくのを感じる。
椅子に座るのも電車に乗るのも当たり前のことだ。
幼かった頃、私は椅子に座るそれだけのことが、特別に感じられた。新しいものや風景に出会うたび、えもいわれぬ興奮を覚えていた。この椅子の色が何色なのか。どんな形なのか。誰が作ったのか。そんなことが気になってしょうがない。
電車がどんな色なのか。どんな形なのか。なんで動くのか。どんなひとが運転してるのか。
大人になった私は何も考えず電車に乗る。
移動手段でしかなかった。それは幼い頃に気になっていたことが、自分に関係ないことだと気づいたからだ。どうでもいいことだったからだ。
それを人は大人になることだと言う。
学校や会社に行くために服を着替え、道を歩く。
そんな毎日の事に、意味を求めたりしない。
子供の発想の良さはここにあるのだろう。世界にあるものすべてが自分にとって大切なことであり、知らなければならないと思う。
私は大人になった今でも、当たり前に疑問を持つようにしようと思う。
人が生きている不思議さや、宇宙のこと、海の深さについて考える。
あらゆる当たり前を一度考えてみることで、自分が生まれた意味について、近づけるのではないだろうか。
自作小説「雨の色、海の色。」(1)
ある日、私はつまらぬ絵を描いた。
夜遅くに家に帰った私は、冷蔵庫の麦茶をコップに注ぎそこに氷を2、3個ほど浮かべると半分をぐいと飲み干した。
そのままそそくさと自分の部屋へ行き、押入れの奥から昔使っていたカビの生えかかったホルベインの絵の具と毛先の開ききった絵筆を取り出した。
そして、スタンドライトの光だけの薄暗い部屋で私は青に惹かれ、青色の絵の具をスケッチブックにぶつけていた。
セルリアン、ターコイズ、、、
まず私はパレットの上にこれらの青色を乗せ水で絵筆を湿らせた後、白紙の上に順番に並べてみた。
やはり青色には違いない。しかしこれではない。
次にそれらの青色をパレットの上で混ぜ合わせ、色を作った。
色の深みは増すのだが、何かが違う。
描いても描いても、私の求めている青とは程遠い。
何を求めているのか自分でもわからずにただひたすらに絵の具を混ぜ続けていた。
自分が求めている青が「青」ではない事に気付いた頃には外は明け方近くになっていた。
私はあの美術館でみた青への衝撃にもう一度出会いたかった。
あの青にどうしてか惹かれていた。
それに出会ったなら、私は世界の真実に触れられるような、そんな気がして興奮していた。
まるで子供の無邪気さであった。
私はただ、つまらぬ絵を描いていた。
私は暫くの間、大学を休んだ。
万が一外にいるとき、また「青の衝動」にかられ絵を描きたくなることを恐れたからである。
画材道具を外に持ち出すのもいいがそれも馬鹿らしい。
そう考えてしばらくは家で怠けていた。
だが、いつになってもその衝動は訪れない。
大学の友人には、「青の衝動」を待っているなどとも言えずに体調不良と言い訳していた。
ある日とうとう友人から、大学の提出物とテストについて、いつまで学校に来ない気なんだという内容の電話をもらった。
気づけば7月も半ばを過ぎている。
学校を「衝動待ち」で休み始めてから1ヶ月が経とうとしいるではないか。
よく考えると阿呆らしくなって、私は学校への復帰を決めた。
私が考える就職活動の極意
どうもこんにちは。
真面目サーファーです。
今回は就職活動について話していこうと思います。
3月に情報解禁した今年の就職活動も終盤になり、
希望の企業に内定がもらえた人、希望通りにはならなかったけどどうにか就職が決まった人、まだ決まっていない人、様々あると思います。
でもそろそろ自分がどうなるのか、いい意味でも悪い意味でも現実を見なければいけない時期なのではないでしょうか。
まず最初に僕の就職活動について軽く触れておきましょう。
得体も知らない奴に話されるのもあれだと思いますので。
僕は周りの期待に応えたいという気持ちで受験や就活に取り組んできました。
親への恩返し、友達に負けたくないというプライド、ステータス、
男性なら多いのではないかと思いますが、
自分にも「憧れ」があり某有名私立大学に入学し、そして大企業を目指してきました。
第一志望は「総合商社」業界、海外にも行きたかったですし、デカイ仕事がやりたいというのもありました。
結論から言うと、希望通りにはなりませんでした。
自分で言うのもおかしいですが、就活については常に全力で取り組んできました。
やれることはすべてやったつもりでした。
第一志望の企業からの連絡が途絶えた時はもちろんすごくショックでした。
でも、なんかあっけなく落とされて、自分は気づいたことがありました。
所詮「憧れ」だったんだな、と。
第一志望に落ちてみて初めて、自分の中の心の皮がベリベリと全部剥がれ落ちた気がしました。
その心の皮の正体は「憧れ」「ステータス」だったのです。
そしてその皮を作っていたのは紛れもなく「他者」だったのです。
「他者からみた自分」ばかり気にした結果、「自分」が見えなくなっていたんです。
その本当の「自分」に対面できた時、
僕は本当に就活を全力でやってよかったと気づきました。
そして第一志望に落ちてよかったと思いました。
言い訳だと言われるかもしれないけど。
そして、心の皮が剥がれてからは面接で素直すぎるくらい素直に自分を出せるようになり、スムーズに選考が進みました。
結果、僕は一番面接が楽しかった物流大手企業に最初の面接から3日で内定を頂くことが出来ました。
今まで自分は周りの期待に応えることに全力でした。
それが大好きだったんです。
「受験」も親の期待に応えるために頑張ったし、
「就活」もお金稼いで親に楽させてやりたいと思いました。
でも何か僕は常に「自分が本当にやりたいこと」を心のどこかで探していたんです。
それに気づけた時、他者ではない「自分」に初めて従うことができた。
僕は来年の就活生に
「自分」を見つけろ「他者」ベースで考えるな。
と言いたいところですが、そうは言いません。
僕のような就活にならないようになんて言えません。
僕の就活は「僕にとって」失敗ではないのだから。
ただ一つアドバイスするなら、
「何もやらない以外の選択肢を常にしろ、そして選んだ選択肢に対して全力になれ。」
です。
「お金」「ステータス」「憧れ」「他者の期待に応えたい気持ち」・・・
これらは決して悪くない。
むしろ全力で考えてほしい。
でも、「自分」と言うものが何なのかを常に片隅に置くこと。
そして繰り返しになるが、
「諦める以外の選択肢をやり続けろ、全力で。」
僕の大学受験以来、大事にしている言葉があります。
I never worry about action, but only inaction.
「行動することを少しも恐れはしない。恐れるのはただ無為に時を過ごすことだけだ。」
今回はこれでおしまい。
また次回も読んでいただければ幸いです。